| 07 そんなことあるわけない 「何故…なんですか…?」 己の前に立つのは姜伯約。 師を失って辛いだろうに健気にも気丈に働いているらしい若い人材。 丞相であった彼の師は軍師としても優れており己も様々な戦に駆り出されていたので、彼の師のことはよく知っている。 計略を巡らせれば右に出る者は無く、公明正大、信賞必罰。 使えるものは私情を挟まずに使う。……いらなくなったら使い捨てられる。 が、己が先日、己が刃で斬った男の扱いは違った。 彼の師にしては珍しく、昔から忌み嫌っていた男。 彼の師が己に残した指示。 もしその男が叛乱を起こすならば斬れ、と。 己はそれを実行した。 嫌いになれない男だった。親しい、とも言える仲だった。 命令に背こうなどとは、それがすでに死した者の発したものであろうとも、思いもしなかった。 それに従わずして、己が地位は保てない。己が地位が保てないということは我が従弟君の名声をもいづれ潰えるということだろう。 己は、従弟君の……若の遺言で生きている。生かされている。 若のためならば、親しい盟友をも殺せる。諸葛孔明はそれがわかっていたからこと己にその使命を託した。 「どうして魏延殿を…あんなに、貴方にとって本当に…親しかったのに」 おそらく、彼には理解できないだろう。 死した者を最優先に考える己の価値感なんて。 「諸葛孔明殿からの命令だ」 「それは…っ!…知っています。けれど何故貴方がその使命を負わねばならぬのです!?私がーー」 「君が?君はあの人の弟子だろう。指揮官が指揮を放って、叛乱分子の始末に自ら走る気か?」 「…そう、でしょう。ですけど、私じゃなくても誰かが」 「誰がいると?」 いらいらしてくる。 己だって何も好き好んでそんなことをしたのではない。できることならやりたくはなかった。 けれど、これは軍務だったのだ。 若のためを考えても逆らう気なぞ起きようはずもない。 「誰がいる?魏延殿は強い。並大抵な輩だと返り討ちにされたはずだ。また階級や地位、忠誠心の問題もある」 「けれど…」 穢れなどないような、純な眼で見られる。見抜かれる。 「貴方はそんなこと、したくなかったはずです」 神経を逆撫でされた気がした。己の敷地に土足で入られたような苛立ち。 久しぶりに、俺は激昂したようだった。 「だから何だ?俺は確かに魏延殿と親しかった。が、俺の意思など関係ない。俺の私情など必要ない。俺には若の言葉しかない。若が先主に俺のことを頼んだという事実しかない。俺は蜀にいるしかない。ならば命令には絶対服従する。それだけだ」 「何故…」 挿まれる姜伯約の疑問。答えはすでに存在していた。 「貴方はそんなにも馬超殿に捕らわれているんですか…?」 何故言ってしまったのかはわからない。 彼の師が死した今、己のみが知る、己の十字架を。 「俺が若を死なせたからだ」 「…どういう意味ですか?」 「俺は…昔、呉に密書を送っていたことがあった。そのことを知って、若は死んだ」 「………」 裏切られ続けた若を。策略と謀略の果てに傷つき、辿りついたこの地で安らいでいた若を。 己の理想によって苦しめて死なせてしまった。 誰よりも優しくて純粋で脆かった。 裏切られる痛みを痛すぎる程知っている人だった。 己の行為によって先主の義弟たる関羽殿が死したことを知った若は病んだ。病んで二度と戦場に出ることのなく、逝った。 これは己が若を殺したも同然だった。 「密書など……何故…」 そのとき己が何を考えていたかはわからない。 話した言葉は真実だが、目の前にある人物がそろそろ鬱陶しく思えてきたのも確か。 壊してやりたかったのかもしれない。その無垢な瞳を。 「俺と若が蜀に来たのは何故だと思う?」 「え…先主の人柄に惹かれたという話を聞いたことがありますけど」 「違うよ。真実はこうだ。諸葛孔明殿の策によって陥れられた俺達は、間抜けにも用意されていたその手を掴んだだけだった」 「それは、どういう意味なんですか!?」 「そのままの意味だよ。あの人は俺達を追い詰めてから手を差し伸べたんだ。俺達を孤立させ、劉備殿に助けを求めるしかないという状態を作り出してね」 そう。俺はあの日にそれを知ってしまった。知ってしまったが故に……若を死なせる結果を引き起こした。 俺は呪った。恨んだ。見限った。 真実を知ったらお前はどうする? 俺は残酷な真実を、姜伯約に突きつける。 「お前もそうだったろう?姜伯約。お前は諸葛孔明に救われたんじゃない。諸葛孔明に奪われたんだよ」 「そんなことあるわけない!」 「そうだったんだよ、真実は」 「嘘だ!」 必死になって否定するその姿に、自然と顔が綻ぶ。 人の心に土足で入ってくるからには、それなりの覚悟も必要だということを覚えておくがいい。 「俺はね、姜伯約、お前を陥れることに手を貸した者だからよく知っている」 俺が一歩踏み出すと彼は一歩後退する。 「お前は諸葛孔明によって孤立させられた。故郷を同じくするものに信じてもらえず、どんなに悲しい思いだったか想像に難くないよ。けれど、敵であった諸葛孔明よって陣に迎え入れられたときどんな思いだったかな?嬉しかっただろう?」 彼はじりじりと後退しながら、俺の顔を呆然と見ていた。 俺は優しく綺麗に微笑んでやる。 「そんな奴を師と仰げるようなすごい人には、俺の気持ちなどわからないだろう?わかってくれなくていいんだよ。お前は尊敬する師匠の後を継いでさえいれば問題ない」 だからもう、俺の前から消えろ。 俺の罪は俺だけのものだ。誰にも触らせはしない。 去っていく姜伯約の姿。 その姿に、ふと言い知れぬ不安を覚えたのは何故なのか。 だが。それは、過去に捕らわれた己にはどうでもよいことだった…… 質問配布元は こちら「SILENT SPEECH 」 |
indexへ→