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後悔はしない。そう決めた。 そうでないと殺された一族の死が無意味なものになってしまうような気がするからだ。 振り返り、懐かしむことも、悼むこともできないけれど。 ふとした拍子に疑問が浮かんでくる。 何故俺はまだ生きているのか、と。 これからもまだ何かを犠牲にしていまうのか、と。 だが。 俺が生き延びることが一族の存在した証なのだと言われてしまえば。 諦めざるを得ないだろう。 誰も赦してなどくれないのだから。 ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ 姜維が蜀に来てから数日が経った。 職務もだが、日常生活にしても覚えなくてはならない細々とした違いは勿論あるわけで。 そんな多忙な日々の中で武芸の腕を落とさずにいるのは至難の業だ。 毎日欠かさず鍛錬をつまないとすぐに腕は鈍ってしまう。 そこで姜維は職務の始まる前に時間をとって練習をすることにした。 趙雲に聞いたところ、鍛錬は調練のための道場を使ってもいいのだが、城の中でも人のあまり来ない庭などがあるらしく、そこで身体を動かすことを薦められた。 その庭は、なるほど。 趙雲が薦めるだけあって一人で鍛錬をするに適した落ち着いた風情のある場所であった。 緑生い茂る中にネコの額ほど(とまではいかないが)小さな、ただポツンと取り残されたような広地。 城内にあって、城内では異質な世界。 城に勤める者でここまで足を伸ばすものはそういないだろうと思われるような絶妙な場所に位置している。 何時でも使っていい、と言っていた趙雲に向かって内心で礼を言い、姜維は早速手にした槍を振るう。 最初は準備体操がてら軽く、ゆっくりと槍を動かし身体を解す。 ある程度身体が温まってきたら本格的に型をなぞる。 まずは自分の体勢を考えて基本に忠実に。 実践を想定し、仮想の敵がどう動くか考えて動く練習も怠ってはならない。 相手の武器は?体型は?闘い方は? あらゆることを念頭にいれて同じ条件でも何パターンか考え、試行する。 姜維は知将であるが、策略を考えることとは別にして槍を振るうのが好きだった。 ”武”は”舞”に通じるというその言葉のように。 一定以上の猛者が獲物を振るうとそれは舞曲を行っているかのよう。 まるで舞うが如く一連の動作で動き終え、額の汗を拭ったとき、漸く姜維は自分以外の誰かの存在に気がついた。 隠れていたというわけではなく、単に気づかなかっただけらしい。 姜維から少し離れたところに木の幹に寄りかかって腕組みして立っている青年がいた。 姜維と目が合って青年は木の幹から背を離した。 「悪い。邪魔をしたか?」 姜維より少し年上といったところか。 会ったことのない人である。 熱中していたとはいえ、姜維が気づかなかったほどである。 そこそこの地位についている者だと思われるのだが… 大体の城仕えの者の顔と名前(特に地位の高いもの)は頭に叩き込んだはずである。 誰か紹介されていない人がいるのだろうか、と内心姜維は首を傾げつつ、応える。 「いえ、ちょうど今終わったところです」 姜維は青年を観察しつつ二、三歩歩を進める。 蜀では見たことのない髪の色をしている。光に反射してよくわからないが、銀色といえるだろう。 眼はちょっとつり上がり気味だが、綺麗な、茶に金が混じったような色。 だが、着ているものは構造上推測するに寝巻き。しかも妙に派手である。 その派手派手しさが外見に違和感を覚えないほど…何というか派手な人であった。 雰囲気からして派手な印象を受ける。 ……こんな派手な人、一度紹介されれば嫌でも覚えられる。やはり会ったことのない人だ。 と、失礼ながらも内心頷く姜維。 そんなこと思われているとは露にも思っていないだろうが、青年が話しかけてくる。 「ここ、静かだよな」 「はい、いいところですね」 姜維は、いきなり初対面で名を尋ねるのは失礼であると思い、これ幸いと世間話を続ける。 「城の中にあって、それでいて城の中心地からはほど良く離れている。そのため、滅多に人が尋ねて来ないのですが、草木もよく整備され、ですがちょうど良い具合に木々が生い茂っている…一人で休みたいときにこんなにいいところはないですね」 「そうだな」 青年は周囲に目を向けた後、わずかに下を向いた。 その顔に浮かぶ表情は姜維には表現しようのない複雑なもの。 「中途半端な位置にあるからあまり使えない。使おうとするとそこの利点がなくなる。けれど放っておくこともできない。きっと厄介なものでしかないだろうな……俺と同じか」 最後に付け加えられたため息は何故か重かった。 青年の言わんとしていることがわからずに言葉もない姜維に一転して青年は笑いながらパタパタと手を振る。 「何でもない。…こっちの話だ」 「はぁ…」 よくわからないがこれは流して聞いてしまっていいのだろうか? 青年の複雑だった表情と込められたため息の重さは少しと言わずかなり気にかかったが、青年はそんな姜維の様子を気にせずに次の話へと移す。 「ここの場所はどこで知ったんだ?ここは意外に穴場で知っているヤツは結構限られているが」 「趙将軍に、鍛錬するに適した場所はないかと尋ねてみましたところ、ここを薦められ」 「あー子龍か」 姜維の言葉を遮って青年が納得したように手を打つ。 「あいつも何考えてるんだかわからないヤツだな。…いや、多分何も考えていないだろうけどな」 五虎将軍である趙雲を”あいつ”呼ばわりしてのける青年に、姜維は何となくだがこの青年の正体がわかってきた。 趙雲と同等以上の地位で、あったことがない人物。尚且つメッチャ親しげ。 だが、十中八九そうだろうと当たりをつけて青年に確認しようとしたところに、タイミングよく時報代わりに鐘がなった。 「ん?もうこんな時刻なのか」 姜維はガクッと肩を下ろした。 これは遅刻だ。丞相に怒られることは必須だろう。 が、しかし。この青年は何でこう気楽なのだろう…? 「あの…仕事に遅れませんか?今鐘がなりましたけど」 「そうだな。さっさと行ったほうがいいんじゃないか?」 だめだ。さっぱり言葉が通じてない。 確かに姜維も急がなくてはならないが、青年も(多分だが)地位を考えるとそれ相応の仕事が待ち受けているはずなのだ。 「ですから…貴方はいいんですか?」 急がなくてはならないのだが、一言言っておきたくて姜維はまだ去らない。 「俺か…」 だが、その青年は少し困ったような顔をしてそっぽむく。 そのまま言葉を選んでいるかのような沈黙のあと、ばつが悪そうに言った。 「俺は寝るのが仕事だからな…」 「はい?」 「とにかく、俺のことは気にするな。ほら、早く行かないと遅刻するんだろ?」 誤魔化されたような、はぐらかされたような。 不満であったが時間がないのも確かなので、挙手をし、青年に背後を向け走り出す。 少し走ったあと、気になって青年を振り返ると青年はまだそこにいた。 『厄介なものでしかないんだろうな』 『……俺と同じか』 「つい…口を滑らせすぎたか」 姜維が去ったあと、青年はそう苦笑した。 初対面で名も立場も知らない者だったのに、つい本音を言ってしまった。 扱いに困っている。 蜀が自分という存在を持て余し気味だということは立場や役職、実際の仕事などを考えるとよく実感できる。 自分に対する対応の仕方という面でもそれは如実に現れている。 それに対して文句も何もないのだが…ただふとした拍子に『何故俺はまだ生きているのか』という疑問が浮かんでくるのだ。 だが、その疑問はもう……… 青年は二、三度頭を振って気持ちを切り替える。 そして姜維の去っていった方を見遣った。 「何か知らないが嵐のようなヤツだったな…」 翠雨・三へ→ 長編小説部屋へ→ indexへ→ |